在沖米軍と子育て

何日か前の新聞で、在沖米軍の基地外居住者の数が今年3月末時点で1万人以上いたことが報じられていた。
その記憶がまだ新しいところに、今日付けの新聞で「米軍に基地内居住義務」という見出しで、在沖米軍の基地外居住を原則的に認めない方針が打ち出されたことが報じられてあった。
家族持ちだけに限定したり(独身者には適用されない)、95パーセント以上の居住率を維持すれば基地外居住も認められるなど、例外はあるが当面は原則的に認めないという「ポーズ」が示されたことになる。
しかし、このポーズは結局のところ、あくまでも米国国防総省の「経費削減」の一環として打ち出されたものである以上、沖縄の生活文化に対する配慮からではないことは一目瞭然と言えよう。
沖縄の気持ちをくんでそうしているのではなく、あくまでも自分達の財布の紐を締めるためだけのことなのだということだ。
沖縄には軍隊があるがゆえに米兵向けの住居がたくさんある。
町まるごとが米兵タウンのような様相を呈しているところもある。
基地外、つまり沖縄に暮らす人々と同じ生活空間であるわけだから、さまざまな米兵がらみのトラブルや犯罪も日常的にある。
もちろん米兵が町にいることによって、文化的な面での「交雑」は行われており、一概にそうしたカルチャー面での変化を無意味と断ずるわけにはいかないだろうが、しかし何がもたらされ何が失われているのかを考えることもなく、商業主義的な肯定のみでそうした交雑を妥当視することには賛成しかねる。
意志の無いところに交流などは無い。
文化的交流といえば聞こえはいいかもしれないが、戦後たえず繰り返されてきたのは、「交流」というような相互関係的なプロセスではなく、否応なしに受け入れざるを得ない、つまり主体的意志や判断など無く犯されて続けてきた沖縄の生活の場が、変容を重ねながらもいまだにここかしこにあるのではないだろうか。
しかし、生まれてきた子どもは育てなければならない。
いうまでもないが、子育ては「損得」ではない。
誰が自分の生んだ子どもを、「自分にとって損があるから育てない」とか「得するから育てる」といった発想をするであろうか。
育てるということはそうした利益の有無とはまったく異なる次元でとらえるべきものだ。
損益分岐点や収支で子どもの成長を考えてしまうと、「なんでオレはこの子を育てなければならないのか」といった類の思考を促してしまう。
そうした傾向は現代社会においていたるところにみられるが、我が子を虐待する事件などはそのいい例であろう。
経済のみで世界のありようをとらえてしまうところには、子どもすら「決算」の対象とみなしてしまう落とし穴がある。
リソース(資源)として子どもをとらえているに等しく、コントロール(管理)対象としてみているに過ぎない。
子どもはコントロールするものではない。
手入れをするだけである。
水をやり、肥料をまき、声をかけて健やかに育つように心を傾けることだ。
どういう実をつけるのか、あるいはどのような花を咲かせるのかは、その時がくるまで誰にも分からない。
沖縄における米軍の存在と、個々の米兵との関わりから実にさまざまなものが産み落とされてきたが、この問題を考えるときに、これまでがどうであったのか、いまはどうなのか、そしてこれからはどういうふうにするのか、過去・現在・未来で私たち自身の意志の面からとらえなおすことが必要だと思う。
愚痴ばかりでも仕方が無いし、分析ばかりしていても詮無いし、誰かの陰謀として責任を請け負わないのもつまらない。
自らの意志の問題としてみるときに、ようやく子どもを育てるスタートラインにたつのではないだろうか。

キューバ危機・アリソンモデル

キューバ危機(1962年)

カストロ政権、ケネディ、フルシチョフ

グレアム・アリソン「決定の本質」 Essence of Decision (1977年)
キューバ危機においてケネディとフルシチョフはどういうことを考えて決定したのかということを調べてまとめた。
決定を下すには3つのモデルがあると考えた。
1)合理的行為者モデル
2)組織過程モデル
3)官僚政治モデル

(1)合理的行為者モデル
擬人化
国家を人格的な巨人として考える
合理的計算
ちょっとでも益の多い選択肢をとるものだ
現在進行形の話はこのモデルで語られることが多い。
例:テレビのコメンテーターは北朝鮮国内のことには触れず国の体外的な面でのプラスマイナスで計算して論じていることが多い。
つまり、このモデルは「国の中は統一されている(安定・均質)という大前提をもつ考え方である」
しかし実際には国の中が統一されていることはまずない。
中身をブラックボックス化して合理的判断をしている考え方

(2)組織過程モデル
平常時には便利なモデル
キューバ危機のような突発的な危機には対処しにくい
標準作業手続きによって物事が機械的に判断されていく

(3)官僚政治モデル
大統領、CIA、国務長官、国防省、制服組らの関係
大統領は上ってきた情報に対し判断する
情報を上げるものが決定に少なからず関わっている
例:北朝鮮のミサイル発射、1のモデル:プラスが多いと判断、2のモデル:マニュアル計画に従って、3のモデル:軍の暴走かもしれない

国際関係の理論
マクロな理論
 ・リアリズム、リベラリズム、コンストラクティビズム
ミクロな理論
 ・対外政策決定過程論(決定に至る過程を分析する)

アリソン「対外政策決定過程論」Decision Making

全部が合理的な決定ではなく、不合理な決定もある。
例:レーガン大統領の部下が著した回想録で、なんとレーガンは国の命運を左右する重要な決定事項を妻ナンシーに相談していた。妻ナンシーは彼の専属の占い師に相談していた。

アリソンの最初の1ページにケネディの言葉
決して研究者は決定の本質にたどりつくことはできない。なぜなら、決定をしている本人ですら、なぜその決断をしたのか分かっていないから

<ビデオ>

キューバ危機の際、ひそかに録音された
ケネディテープ。
30年以上を経て公文書資料として公開
しかし今なお公開されていない42秒がある→沖縄・密約・核についての重要な情報が記録されているようだ。
手嶋龍一・NHKワシントン支局長
カリブ海1962年
マクマナラ国務長官
1962年10月16日〜28日 キューバ危機
軍は奇襲攻撃を主張
偵察しても核の存在を確認できていなかった
アメリカ人のポケットにハリネズミをいれたらどうするだろうか(フルシチョフ)
10/10EXCOM会議
ケネディにとってキューバ危機はベルリン危機のもうひとつの危機
キューバ危機の前年1961年にベルリンの壁建設が始まる
有事に核兵器の使用を考えていたのはベルリンだけでなく極東も。
42秒の非公開部分
全面核戦争へのエスカレーションを避けねばならない(ケネディ)
空爆から海上封鎖、そして臨検(クアランティーン)に。
国際法上では海上封鎖も戦争と同義なので。
フリシチョフはケネディが臨検と表現したことに注目
ハバナ郊外の丘に核弾頭は持ち込まれていた
国連の核査察を拒んだカストロ政権
洋上で米ソの艦隊がランデヴー

グレアム・アリソン - Wikipedia
グレアム・アリソン(Graham T. Allison, 1940年3月23日-)は、アメリカ合衆国の政治学者。ハーヴァード大学ケネディ行政大学院教授。専門は、対外政策論、核戦略。
ノースカロライナ州生まれ。ハーヴァード大学卒業後、オックスフォード大学で修士号、ハーヴァード大学で博士号取得。1972年から現職。クリントン政権期に国防総省スタッフとして、ウクライナ、ベラルーシ、カザフスタンの核兵器廃棄政策にも携わった。
「合理モデル」・「組織過程モデル」・「政府内(官僚)政治モデル」の3つのモデルでキューバ危機を分析した『決定の本質』は対外政策決定論の必読文献として有名であり、大きな反響を呼んだ。
Essence of Decision: Explaining the Cuban Missile Crisis (2nd Edition)

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キューバ危機 - Wikipedia
キューバ危機(キューバきき、The Cuban missile crisis)は、アメリカのすぐ南に位置するキューバにおいて、1962年10月15日から13日間続いた、米ソ間の冷戦が頂点に達して核戦争の危機を招いた国際緊張の事である。


写真家・渡部さとるの写真展

studio monochrome on the web
写真家・渡部さとる氏のウェブサイト

東京のギャラリー冬青で渡部さとる氏の故郷「米沢」を舞台にした写真展が開催されるそうだ。
冬青社
http://www.tosei-sha.jp/gallery.html
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